今回の「訳せそうで訳せない日本語」は、「推移する」です。
経済の話題で、よく見かけるこの言葉ですが、あなたなら英語でどのように表現しますか?
日本語での使用例
- 一部に弱めの動きがみられるものの、底堅く推移している。
- 景気はおおむね横ばいで推移している。
- 需給は緩和基調で推移している。
- 設備投資も停滞ぎみに推移している。
- 今週の後半は、18度くらいで推移するでしょう。
- 近年の推移を見ると、次のような特徴がある。
訳例
- Although there are some soft spots, the economy as a whole remains steady.
- Business in general persists at the same level.
- The supply to demand situation continues to be soft.
- Capital spending is still sluggish.
- The temperature will stay at around 18℃ for the latter half of this week.
- When we look at a recent trend, it has the following characteristics.
解説
これも官庁用語 (officialese) のひとつである。その典型的な例が用例 (1) だ。これは「アベノミクス」がどの程度地方に波及しているかについての日銀の地域経済報告からとったものだ。「弱め」、「底堅い」などそもそもは株式市況について使われる用語を使い、いかにも官庁らしい言葉遣いだ。私自身は個人的にはこのような表現は好きではない。使い慣れた用法を踏襲しているにすぎないからだ。しかし通訳者・翻訳者は話し手の使う表現を好きだとか嫌いだとか言ってはいられない。言葉にも流行があり、どんな言い方であれその意味を正確に訳さなければならないことは言うまでもない。
「推移」という語自体は国語辞典を見ると、「移り変わること」、「時が経つにつれて、物事の状態が変わってゆくこと」とあり、むしろ「変化」を表す言葉のようだ。英語でいえば、a transition, a change, あるいはより中立的にa trend, a progress が当てはまるだろう。用例 (6) はそのような例だ。ところがここにあげたように「推移する」と動詞形になると、変化よりも「同じ状態を続ける」、「変わらない」という意味で使われるようになっているのは面白い。この言葉がこのような意味で使われるようになったのはあまり古いことではない。私の長い通訳の経験でも、この意味の用法を聞くようになったのは1980年ころからではないかと思う。主として景気など経済関係に多く、政府の月例経済報告などを見ると、頻繁に使われている。
英語訳としては、「同じ状態にある」だから、to remain が一番ぴったりだろ。その同義語として、to continue, to stay, to persist でも同じようなものだ。訳例 (4) のように be 動詞に still を付けてもよい。To persist には「難しい状況でも我慢して」、「粘って」というニュアンスがある。用例 (5) は「推移する」が天気予報にも使われた例だ。こうしてみると「推移する」はなかなか便利な表現であることがわかる。
「推移する」表現色々
- "to continue"
- "to persist"
- "to proceed"
- "to remain"
- "to stay"
- "(to be) still"
次回の表現
次回の訳せそうで訳せない日本語は、「覚悟する」です。
日常のささいなことから、大きな政治的な決断まで「覚悟する」場面は、沢山あると思いますが、次回はどのような表現をご紹介するのでしょうか。
お楽しみに!
※本記事は、2012年インターネット講座ブログで連載していたものを再構成しています。
小松達也
サイマル・アカデミー創設者
1960年より日本生産性本部駐米通訳員を経て、1965年まで米国国務省言語課勤務。帰国後、サイマル・インターナショナルの設立に携わり、1987年より社長、1998年から2017年3月まで顧問を務める。わが国の同時通訳者の草分けとして、G8サミット、APEC、日米財界人会議など数多くの国際会議で活躍。2008年から2015年まで国際教養大学専門職大学院教授。
1980年にサイマル・アカデミーを設立、以来30年以上にわたり通訳者養成の第一人者として教鞭をとり続け、後進の育成に力を注いでいる。
