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第11回 現場

「現場」は日本の産業・経済にとって非常に大切な場所でありコンセプトです。「ものつくり」は日本の産業が最も得意とするものであり、「ものつくり」が行われるのは「現場」なのです。

かっての通訳仲間であり今では国際的な経営コンサルタントである今井正明さんは “Gemba Kaizen”(1997, McGraw-Hill) という本を書いています。その中で “gemba”“where products are developed and made, and where services are provided” と定義されています。理論や知識よりも、実際に作業員や店員が働いている「現場」での経験を大切にする、というのが日本文化の伝統の一つであり、それが日本の経済や社会の強みでもあったということでしょう。
ですから企業経営者などの経済人だけでなく、学者や政治家の発言にもこの言葉がしばしば使われます。

1年ほど前のことですが、日本記者クラブでの記者会見で岸田外相が「外務大臣に就任してから今日まで、現場主義ということで34の国・地域を訪問させていただきました」と述べました。

第11回 現場

この時同時通訳していたサイマルのベテラン通訳者Sさんはこれを “I have consistently applied hands-on approach and have visited 34 countries and regions” と訳出しました。とっさの同時通訳で “hands-on approach” と訳したのはさすがです。

Hands-on は経営などでよく使われる表現で「直接関与する,実務的な」という意味です(反対語は hands-off)。TIME誌もアメリカの鉄鋼会社 Nucor についての記事の中で、同社の社長について “John was a different type of a manager. He’s a hands-on guy.” と書いていました。アメリカでは「現場主義」のCEOは珍しいのでしょう。

京セラの創設者で現代の名経営者の一人である稲盛和夫さんの講演を通訳したことがありますが「現場で叩き上げた優秀な技術者」という言い方がよく出てきました。”We have many excellent engineers trained on the factory floor.” と訳しました。

その稲盛さんが記者会見で日本航空の再建という難事に成功した経験について「学んだことを現場で生かすことでリーダーとして成長できるのです」と言っています。この場合の「現場」は航空業界の現場です。機体の整備や乗客への対応などを指すのでしょうか。

「学んだことを現場で生かすことでリーダーとして成長できるのです」

さあこのセンテンス、あなたならどう英語で表現しますか?

 

第10回「先取りする」の訳例

今回の課題は「先取りする」という表現を使った昨年の衆議院選挙前の時点の民主党枝野幹事長(当時)の発言からの引用でした。

「先取り」という言い方は第1義では「他人よりあるいは定められた時期より先に取る」ですが、実際はほとんど「時代を先取りする」のように「ある事態を予測して、それより先に事を行うこと」という意味で使われています。「予測する」(foresee)だけではなくて、「そのために何かをする」(act in advance) ということが必要なようです。

 

たとえば、 「社会やマーケットの変化を先取りできる企業だけが生き残れる」は;  

“Only those companies that can foresee and act in advance of the changes in the society and the market could survive.”

となります。

 

さて枝野さんの発言「早く選挙をやってしまって、残り4年分の人気を先取りする」はどういう英語にしたらいいのでしょう。

安倍首相、今(選挙前)は人気がありますがそれが今後4年間続くとは限りません。むしろいろいろな課題があって人気は続かない可能性があるとみてこの時期に選挙を打ったのでしょう。まさに通訳者泣かせの発言です。

このとき逐次通訳したのは、日→英の通訳では第1人者と私が尊敬している高松珠子さんでした。彼女は;

“It’s obvious that the earlier he holds the election, the better. In other words, he will sacrifice two years of the representatives’ term of office, but instead he would be able to get four more years where he will be able to implement his policies.”

と訳しました。

「衆議院議員の残り2年の任期を犠牲にしても、この選挙の結果得られる4年間を利用して自分の政策を実行できる」―これがまさに曖昧な表現ながら枝野さんが言わんとしたことです。

大勢の記者を前にして、とっさに内容を考えてこれだけの通訳ができるのは素晴らしいと思いませんか。ただ単に言葉を訳していたのでは、聞く人に意味のわかる通訳はできません。コンテキストと背景の事情をよく知っていて初めてできることです。しかもわかりやすい英語表現。まさに名人芸といっていいでしょう。

今回は友人高松さんの通訳の実例を使わせていただきました。高松さんにお礼を申しあげます。

 

※本記事は、2014年インターネット講座ブログで連載していたものを再構成しています。

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小松達也

サイマル・アカデミー創設者

1960年より日本生産性本部駐米通訳員を経て、1965年まで米国国務省言語課勤務。帰国後、サイマル・インターナショナルの設立に携わり、1987年より社長、1998年から2017年3月まで顧問を務める。わが国の同時通訳者の草分けとして、G8サミット、APEC、日米財界人会議など数多くの国際会議で活躍。2008年から2015年まで国際教養大学専門職大学院教授。
1980年にサイマル・アカデミーを設立、以来30年以上にわたり通訳者養成の第一人者として教鞭をとり続け、後進の育成に力を注いでいる。

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